大湯と縄文文化

JOMON OYU -WORLD CULTURAL HERITAGE-

大湯に息づく縄文文化

2021年に世界文化遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」。この大湯にある大湯環状列石もその遺跡群のひとつ。ここでは大湯に息づく縄文文化とその魅力をご紹介しましょう。
大湯環状列石は、昭和6年、大きな沼から水を引いて田んぼを整備するための工事の際に発見されました。その後の調査から、大湯環状列石は縄文時代後期(今から約4,000年前)に造られたとされています。ひし形や円形に石を並べた組石の集合体が二重の輪になって配置されています。外側の輪と内側の輪の間には、一本の石の柱を中心に細長い石を放射状に並べた「日時計上組石」があります。実は、この二重の輪と日時計が2組存在しており、ひとつは最大径が52mの「万座環状列石(まんざかんじょうれっせき)」、もうひとつは少し小さく最大径が44mの「野中堂環状列石(のなかどうかんじょうれっせき)」です。この2つの環状列石の大きい輪の中心と日時計の中心(4つのポイント)は一直線上に並んでいて、その直線は、夏至の太陽の沈む位置を指していることがわかっています。当時、大湯で暮らしていた人々は、季節を把握するために夏至の太陽の沈む位置を知る必要がありました。この場所は太陽の位置を知るのに適した場所だったのでしょう。

なぜ、縄文文化が世界に評価されたのか?

氷河時代が終わり、温暖化が始まったのが今から約1万5,000年前。この頃、日本列島に現代と同じような自然環境が誕生したと考えられています。それまでの「旧石器時代」は環境の過酷さから遊動生活が行われていましたが、温暖化により人々は定住生活をするようになりました。こうして始まったのが、縄文時代。その後約1万年以上にわたって続いたとされる奇跡の時代です。日本国内で、縄文時代の遺跡の多くは東日本に残っています。これは当時の気候や植生を踏まえ、住みやすかったからだと推測できます。なかでも「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、縄文時代の人々の生活や精神文化をうかがい知ることができます。縄文時代、人々は自然を敬い、自然に寄り添い、感謝し、助け合いの精神を持って生活していたと考えられています。ものに感謝し、大切にするという日本的な精神の礎は、はるか昔縄文時代に生まれたものかもしれません。縄文時代の人々の暮らしを知ることは、私たちのルーツを知り、私たちの大切なものを改めて見つめ直す機会になるはず。その縄文文化が「世界文化遺産」に登録されたということは、この現代において世界から見ても「未来に残すべき大切なもの」であると評価されたのではないでしょうか。自然を敬い、寄り添い、豊かな暮らしをしてきた縄文人たちの生きる姿を垣間見ることができるのが大湯環状列石の魅力。さらなる魅力を深掘りするために、ぜひ現地に足を運んでみてくださいね。

大湯ストーンサークル

大湯環状列石(大湯ストーンサークル館)
〒018-5421 鹿角市十和田大湯字万座45番地 TEL:0186-37-3822
開館時間:9:00〜18:00(11月〜3月は〜16:00)
休館日:月曜(月曜日が祝日・休日の場合は翌日以降の平日)、12月29日〜1月3日